最高裁判所第二小法廷 平成6年(オ)83号 判決 1994年6月24日
上告人 甲野春子
被上告人 乙山夏子 外4名
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人○○○○、同○○△△の上告理由第一点について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右認定に係る事実関係の下において、遺言書本文の入れられた封筒の封じ目にされた押印をもって民法968条1項の押印の要件に欠けるところはないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基づき又は原判決を正解しないでこれを非難するものにすぎず、採用することができない。
同第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法401条、95条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 中島敏次郎 本崎良平 根岸重治)
上告代理人○○○○、同○○△△の上告理由
第一点 本件亡甲野太郎の昭和55年11月30日になした「自筆証書遺言」は遺言書としての有効要件である「押印」を欠いており、したがって無効と判断されるべきものである。
しかるに原判決は、その理由第三、二において「押印を要する右趣旨が損なわれないかぎり、押印の位置は必ずしも署名の名下であることを要しないものと解するのが相当である」「本件遺言書が自筆証書遺言の性質を有するものであるということができ、かつ、その封筒の封じ目の押印は、これによって、直接的には本件遺言書を封筒中に確定させる意義を有するが、それは同時に本件遺言書が完結したことをも明らかにする意義をも有しているものと解せられ、これによれば、右押印は、自筆証書遺言方式として遺言書に要求される前記趣旨を損なうものではないと解するのが相当である」と判示して、右上告人の主張を排斥した。
原判決は、右判断を導く上で、民法が署名押印を要求している趣旨(特に押印までを要求している趣旨)を、中心的には署名下の押印が文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保するところにあると解釈している(判決理由第三、二、1)が、その判断は、全体として押印による文書の完成ということのみに重きがおかれ、署名しかつ押印することによって法律上有効な文書を作成するという遺言者の意識(これは遺言者が民法の詳しい知識があることを必要とするものではない)を遺言者の死後に文書の形式から確定させるという遺言要式の趣旨を軽んじているものと言わざるを得ない。
原判決は、一方で「本文には自署名下に押印はないが(書簡の本文には押印のないのが一般である)、それが遺言書という重要文書であったため封筒の封じ目に押印したものであると考えられる」と判示している。しかし、一般には、封筒の封じ目の押印の趣旨は、勝手な開封(勝手に内容を見ること)を禁ずるという封書作成者の意思を外部に表示する意味を有するもので、それによりその内容物を私的に重要なものと考えていたという封書作成者の意思を推定することまでは可能ではあるが、そこからそれを遺言書作成要式の一部としての押印と判断するのは判断の飛躍である。遺言書本文は、封筒内の書簡の本文であったのであるから、本件亡甲野太郎はその「書簡」本文の署名下に押印することは可能であり、かつ容易であったはずである。本件遺言書を真に遺言書として作成する意識であったのならであるが。翻って、本件遺言書のように、自分の死後に旧来から続いた名家である家の存続について長男・次男といった家の後継者に事の処理を委託する趣旨で後継者らが必ずしも詳細に理解しているとは限らない様々な事柄について説明する文書を残しておくということは、そのような家柄の当主がよく行うことであって、そういう場合、本件のように封印した後継者宛ての書簡の形でその文書を保管しておくというのはごく自然なことである。
原判決の判断によれば、本件に限らず、そのような文書一般が、本文の署名下には押印がないにもかかわらず、封筒封じ目の押印の存在によって有効な遺言書と判断されてしまうことになり兼ねない。遺言書の作成要式の判断は目的論的に解釈するにしても形式に即して厳格なものであることが必要であり、原判決は法律の解釈を誤っているか、理由齟齬もしくは理由不備の違法があるといわなければならない。
第二点<省略>
〔参考1〕 二審(東京高 平4(ネ)3679号 平5.8.30判決)
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 亡甲野太郎が昭和55年11月30日になした原判決別紙記載内容の自筆証書遺言は無効であることを確認する。
二 被控訴人ら
本件控訴を棄却する。
第二事案の概要
本件は、亡甲野太郎の後妻である控訴人が亡甲野太郎の先妻の子である被控訴人らに対し、亡甲野太郎の自筆証書遺言の遺言書自体に押印がないとしてその無効確認を求めたところ、原判決がこれを棄却したので、控訴人が控訴した事案である。
以上のほかは、原判決の「事実及び理由」中「第二事案の概要」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。但し、原判決2枚目裏7行目の「その封筒」の次に(以下「本件封筒」という。)を加え、同10行目冒頭から同3枚目表2行目末尾までを次のとおり改める。
「二(争点)
本件封筒の封じ目にされた右押印が亡太郎によってされたかどうか。それが否定された場合には、本件遺言は自筆証書遺言として無効か。それが肯定された場合にも、本件遺言書自体に亡太郎の押印がないから、本件遺言は、自筆証書遺言として無効か。」
第三当裁判所の判断
一 本件封筒の封じ目左右2か所になされた「甲野」の押印は亡太郎によってなされたものか
被控訴人甲野一郎本人尋問の結果及び控訴人本人尋問の結果の一部によれば、亡太郎の通夜の行われた平成2年5月10日夜、群馬県○○郡○○町○○△△×××番地の亡太郎宅(すなわち、控訴人宅)において、同被控訴人が、控訴人から鍵を出して貰い、金庫を開け、本件遺言書在中の本件封筒を発見したこと、その際その裏に右押印がなされていたことが認められ、右認定に反する控訴人本人尋問の結果はあいまいで採用できない。
本件遺言書及び本件封筒の筆跡が亡太郎の自筆であることは当事者間に争いがない事実及びその発見の右経緯に亡太郎が生前右印のような認め印をいくつか持っていたこと(当審控訴人及び同被控訴人甲野一郎各本人尋問の結果)を総合考慮すれば、右押印は亡太郎によりなされたものであることが推認される。
二 本件遺言書の効力
1 自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日附及び氏名を自署し、これに押印することを要するが(民法968条1項)、同条項が自筆証書遺言の方式として自署のほか押印を要するとした趣旨は、遺言の全文等の自署とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保するところにあると解されるから、押印を要する右趣旨が損なわれない限り、押印の位置は必ずしも署名の名下であることを要しないものと解するのが相当である。
2 以下、これを、本件についてみることとする。
(一) 本件遺言書は、書簡形式の特殊な形態のものであるが、これが単なる書簡でなく、遺言書の性質を有するものであることは、<1>内容が遺産の処分に関するうえ、「小生の意思を尊重せられんことを切望す」と記して締めくくられていること、<2>本件封筒の宛て名は被控訴人甲野一郎、同二郎であるが、宛て先は亡太郎及び控訴人の住所であって、同所には右被控訴人両名は既に居住していなかった(被控訴人甲野一郎本人尋問の結果)こと、換言すれば、亡太郎は、本文冒頭に記された名宛人である右被控訴人両名に宛てた書簡を自宅に配達を受けて自己が受領する目的で差し出したと考えられる書簡であること(この点で乙2号証の1、2が亡太郎から被控訴人甲野一郎の現住所に宛てられ、同被控訴人が受領した書簡である〔同被控訴人本人尋問の結果〕のとは異なる。)、<3>9年余の長期間金庫に保管されてきたと考えられること(控訴人本人は、遠い過去の書簡の内容が亡太郎の最終意思とされるのは、末期における同人との良好な関係に照らして、納得できない旨供述するが、昭和63年中に書かれた書簡と推認される〔被控訴人甲野一郎本人尋問の結果〕前記乙2号証の1も、控訴人との関係では、本件遺言書と概ね同旨の内容である上、遺言者は何時でも遺言を取り消すことができる(民法1022条)ことに照らし採用できない。)などからみて明らかである上、遺言書であるのに書簡形式がとられた理由は、本件遺言書の末尾に、「念のため郵便局から△△宛て出す」とか、「郵便局の消印を証明とする」とか記載されているところから了解が可能なものであるといえる。
(二) 一般に書簡の場合、それが通常の手紙であれば封筒の封じ目に押印まではしないのが普通であると考えられ、その在中物が重要文書等であるときには封筒の封じ目に押印することのあることは珍しいことではないと考えられる。この場合の押印の趣旨も、在中の重要文書等について差出人の同一性、真意性を明らかにするほか、文書等の在中物の確定を目的とし、かつ、このことを明示することにあると考えられ、本件遺言書も書簡形式をとったため、本文には自署名下に押印はないが(書簡の本文には押印のないのが一般である。)、それが遺言書という重要文書であったため封筒の封じ目の左右に押印したものであると考えられる。そして、右押印は、本件封筒が前記(一)に判示のような形で郵送されていることをも併せて考えれば、本件遺言書の完結を十分に示しているものということができる。
(三) 右印は亡太郎の実印ではないが(当事者間に争いがない。)、遺言書に実印の押印は要件ではなく、認め印でもよい。
以上の判示に照らせば、本件遺言書が自筆証書遺言の性質を有するものであるということができ、かつ、その封筒の封じ目の押印は、これによって、直接的には本件遺言書を封筒中に確定させる意義を有するが、それは同時に本件遺言書が完結したことをも明らかにする意義を有しているものと解せられ、これによれば、右押印は、自筆証書遺言方式として遺言書に要求される押印の前記趣旨を損なうものではないと解するのが相当である(なお、控訴人は、封筒上にされた押印は、遺言者以外の者によっても押捺され易いから、遺言者の死後、この点に関する確認が困難で争いを生じ易い旨主張するが、遺言書を密封することは要件ではなく、開封の遺言書もあるのであるから、控訴人の右主張は、右解釈の妨げとなるものではない。)。
3 従って、本件遺言書は、自筆証書遺言として有効である。
第四結論
よって、控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却した原判決は正当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法95条、89条を適用して、主文のとおり判決する。
〔参考2〕 一審(前橋地 平3(ワ)127号 平4.8.25判決)
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
訴外亡甲野太郎が昭和55年11月30日になした別紙記載内容の自筆証書遺言は無効であることを確認する。
第二事案の概要
一 (争いのない事実)
1 訴外亡甲野太郎(以下、「亡太郎」という。)は平成2年5月9日死亡し、その相続人は甲野春子、乙山夏子、甲野一郎、甲野二郎、丙川秋子、丁野冬子の6名である。
2 被告ら5名は、平成2年6月27日、前橋家庭裁判所に対し亡太郎作成の別紙記載内容の遺言書(以下、「本件遺言書」という。)について遺言書検認の申立をし(同裁判所平成2年(家)第×××号)、同裁判所は平成2年8月9日その検認の審判をした。
3 本件遺言書の全文、日附及び氏名は亡太郎の自書によるものであるが、右遺言書には押印がない。また、本件遺言書は封筒内に封じられており、その封筒裏面には亡太郎の氏名が自書されているほか、封筒の封じ目左右2ヶ所には同人の氏甲野の印影の押印がなされている。
二 (争点)
封筒の封じ目になされた右押印は亡太郎によってなされたかどうか、それが肯定された場合自筆証書遺言における押印として有効かである。
第三争点に対する判断
一 封筒の封じ目左右2ヶ所になされた「甲野」の押印が、亡太郎自身によってなされたものであることは、弁論の全趣旨によって認められる。
二 法が自筆証書遺言の方式として自書のほか押印を要するとした趣旨は、遺言者の同一性を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印するという我が国の慣行ないし法意識に照らして遺言者の真意とともに、文書が完結していることを確認するにあると解される。
本件遺言書は、全文、日付及び氏名が自書されており、その紙片を封筒に封入し、更に、封筒の裏面に更に署名して、封印がなされているわけであるから、たしかに、一般に言う署名・押印と多少趣を異にするが、遺言者の同一性、遺言の真意性及び完結性を担保するのに欠けるところがないというべきである。原告は、本件遺言は「遺言書」なる表題も付されていない(争いない事実)ので、遺言としての効力がない旨主張するが、「遺言書」という表題は、遺言の要件ではなく、本件遺言には亡太郎が、末尾に「小生の意思を尊重せられんことを切望す」と記し(甲9の2)、封筒に入れて封印している(甲9の1)ことから、遺言と判断するべきである。
三 結論 よって本件遺言書は自筆証書遺言として、有効であり、本訴請求は失当である。
別紙<省略>